人イヌにあう
犬の本と聞けば、飼育実用書っぽいのからノンフィクションから小説から写真集から絵本まで、およそ節操無く読みふけってきたあたしですが、この本は、いつも枕もとに置き、折に触れ読み返す珠玉の一冊です。
コンラート・ローレンツ博士。
1903年生まれのオーストリア人。
比較解剖学、動物行動学の権威にして、
ノーベル医学生理学賞受賞者。
・・・と聞くと、その人の書いた本なんてとても読む気しないと思われますが・・・。
なんのなんの、まずお手にとってご覧頂きたいデスヨ。
この本にたくさん載っている挿絵、この多くが博士自身の手によるものだと聞けば、なんだか親しみわいちゃいませんか?
ちょっと
チャペックさんの絵も髣髴とさせられる、とぼけた味わいのかわいい絵。
(本のなかの挿絵は、弟子?の一人によるものと混在しています。“A”のサインが無い絵が博士の絵らしい。)
スキーを履いて雪道を歩いているときに、大きなイヌに飛びつかれてスッ転んだ自分の姿までも、挿絵に描いているのです、この博士は。
あたしが初めて読んだコンラート・ローレンツ博士の本は、
ソロモンの指環―動物行動学入門
これでした。
動物行動学の権威とかノーベル賞博士とか言う以前に、動物好きのおっさんのエライ生活っぷりのエッセイ(?)みたいな本なのです。
一緒に暮らしながら、あるいは心血を注いで観察しながら、動物への理解を深めていくその姿は、ときにご近所で
不審者扱いされたりもします。
コクマルガラスの愛情、有名なハイイロガンの「刷りこみ」を発見した顛末、動物たちの「言語能力」、そしてイヌの忠誠。
博士の研究に関しては、ちょっと擬人化しすぎじゃないかという批判も当時あったようですが、読み物としてはむしろそのおかげで親しみやすく、楽しめるんですよ!
さて、そんな博士の「イヌ本」がこれです。
人類とイヌのかかわりの起源から、現代のイヌのルーツ、成長に伴うイヌの心理の発達・・・。
そんなことが、博士のたくさんのイヌと暮らした体験談を元に綴られています。
イヌを「学術的に研究した本」というよりも、「たくさんのイヌと暮らした生活記」に近い気がします。
文章の根底に流れるイヌという生き物への、博士の深い愛情が端々から読み取れて、
ノーベル賞博士に非常に親近感を抱ける特典付き。
変わり者で偏屈で頑固ジジイ、かつ、とても温かい人柄が伝わってくるようです。
若い日の博士と共に過ごした老ブリイ。
頑固で勇敢なアリ。
博士と森の中の川で泳ぐスージ。
忠実で一途なスタシ。
登場するイヌたちはみんな魅力的です。
博士の唱えた「イヌの祖先ジャッカル説」は後に覆されたし(博士自身も自説を変え、「小型オオカミ説」をとった)、イヌを「ジャッカル系」「オオカミ系」の2種に分類するなど、いま読むと「?」と思える記述もあります。
それに、あくまでもイヌや動物を人間の隷属物とする、いかにも西欧的な感覚についていけない部分もあります。
動物行動学の始祖である博士の研究は、今日では時代遅れな部分も多々あるでしょう。
けれど、この本には、そんな学術的な誤りや感覚の差を補って余りある、博士が繰り返し問うテーマがあります。
イヌはどうして「異種」である人間に、こんなにも友情を寄せてくれるのか。
それはあたしもとても知りたいことのひとつです。
どんなに時間が経っても(原書の初版発行は1949年)この本が色褪せずずっと読み継がれている理由は、博士が犬たちに抱いていた愛情に、五十年以上経った今でも多くの人が共感できるからだと思います。
博士もイヌの命の儚さを悲しんでいますが、イヌという生き物の命のなかには、何千年も昔から連綿と培われてきた人間への深い愛情があり、一匹のイヌとの別れはあっても、その愛情はすべてのイヌの中に生きている、だから別れは永遠じゃない、と語る最後の章に、あたしはいつか必ず来るアッシュとの別れを思うとき、とても救われる気がするのです。